人口 世帯数 (平成29年8月末)

  計  世帯数
 菅ヶ谷

   1064人

   1030人    2094人

  726世帯

 松   本

     128人

     137人

     265人

    84世帯
 西山寺        61人        62人      123人     41世帯
         
 菅山区   1253人   1229人

  2482

  851世帯

 
 
 
 
 
 

菅山区の歴史

年 代

出 来 事

10万年~5万年前

・大知ヶ谷・大向にナウマン象が棲息していた。

大正4年に出土(榛原高校に臼歯が展示してある)

縄文時代

BC4000年~BC200

 

・菅ヶ谷奥ノ谷から貝塚と考えられる貝の集合遺跡と思われる遺跡あり。石灰山南より石斧2個出土。

弥生時代

BC200年~AD300

 

・菅ヶ谷大通から須惠器出土。宮代より石斧と弥生土器出土。

沖代より弥生土器と土師器出土。

古墳時代

6世紀後半~7世紀末

 

・松本古墳より直刀、鉄鏃片、須惠器(高坏、坏、壺等)出土。

・宮代、相沢、大沢にも円墳で横穴式石室の古墳が点在する。

平安時代

806

825

 

1038

 

1156年頃

1200年頃

 

・時ヶ谷の大聖寺開創。

・弘法大師開創。御堂が12坊、その1つに天王堂があり、現在公園化し、整地されて桜が植えられ、駿河湾が一望できる。

・一幡神社奉祀。当時の協力者28名が28苗となり、御榊神事を今に伝えている。

・京都の藤波親定が神官となる。

・一幡神社の太鼓が造られる。

南北朝時代

1335

 

・足利尊氏の姪(戒名・堅勝妙長老大比丘尼)が華蔵院を開創。

室町時代(戦国時代)

1570

 

・武田軍の戦火により、西山寺消失。観音堂(薬師堂)が残る。

・大向の小城近くに住んでいた今川家の武将の川田平兵衛と松本(勘左ヶ谷)に住んでいた八木勘左衛門が高天神城に入城。

江戸時代

1851

 

・小川村より地蔵尊を移す。大向の小川地蔵尊として区で祀われている。

明治時代

1868年 明治元年

1871年 明治4

1872年 明治5

 

 

 

1873年 明治6

 

1875年 明治8

 

1877年 明治10

 

1878年 明治11

 

1884年 明治17

 

1889年 明治22

 

 

・静岡藩に所管。

・廃藩置県により、浜松県の所管。

・大小区の制度により、静岡県に所管

・菅ヶ谷村、西中村、堀之内村、松本村、西山寺村となる。

・村上正局が大江で石油を発見し、石坂周造と共同で新田と時ヶ谷で試掘。

・新田に手堀りの井戸の開抗。

・時ヶ谷で日本初の機会堀りに成功。

・菅ヶ谷村では隋林寺を仮校舎として菅ヶ谷学校を設置、松本村、西山寺村は萩間の中西学校に通学。

・菅ヶ谷村、西中村、堀之内村の3村合併し菅ヶ谷村となり、松本村、西山寺村は女神村と大寄村と合併し永里村となる。

・永里村から分離して、松本村、西山寺村にもどる。

・大隅重信が油田を視察する。時ヶ谷の峠が栄える。

・大江村に組合隋林寺を設置し、大江分校として第3学年以上は大江分校に通学。松本村、西山寺村は中西学校に通学。

・町村制の施行で菅ヶ谷村、松本村、西山寺村のの3村合併で、菅ヶ谷の菅と西山寺の山をとり、菅山村となる。

・菅山村立菅山尋常小学校が開校。

昭和時代

1947年 昭和22

1951年 昭和26

 

平成時代

2005年 平成17

 

・菅山村立菅山小学校と改名。

・町村合併により、牧之原市に所管され、菅山区となる。

・相良町立菅山小学校と改名。

 

・市町村合併により、牧之原市に所管され、菅山区となる。

・牧之原市立菅山小学校と改名。

静岡県指定文化財

西山寺本堂(薬師堂)木造薬師如来座像 磬・・・西山寺所有

一幡神社の御榊神事 相良油田油井

牧之原市指定文化財

日本初の機械掘り成功井跡 隋林寺のトキワガキ